(2023.12.01)
『プラーナ』
これは私にとってとても興味深いものです。
ウィキペディアでは
プラーナ(梵: प्राण、prāṇa) は、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉でである。
日本語では気息と訳されることが多い。
との説明があります。
プラーナの粒子を見るということを
コツを教えてもらって数回これなのかな?
という感じで見えたことがあります
具体的には少し白っぽく色のついた〇より楕円形に近い粒状のもの
でした。
普段は意識して見るようにはしてませんが
よくよく思うと
子どもの頃は普通に見えていたあの粒粒の粒子のこと?
であれば割と普通に見えていたものかもしれません。
プラーナについて誰でも見られるについての引用(『神智学大要』A・Eパウエル編著/たま出版から)
があるので下記に記します。
これらの微小球は輝きながら大気の中を無数に活発に動いているので、
特に天気のよい日など、そのつもりになれば、誰にでも見られる。
太陽の方には向かずに、晴れ上がった空を背景にして5,6フィート前方に目の焦点を合わせると、一番よく見える。
それは光り輝いてはいるが、無色なので白光に近い。
中略
さらにまた、プラーナは物質界層だけではなく、あらゆる階層に降り注がれているので、
情緒も智慧も霊性も陽光がさんさんと降り注ぐ
晴天の日が最良の状態に達する。
以上
とありますが
プラーナを体感を伴って実感できていない小生としては
本当の意味では理解できていないといったところです。
ヨーガでは
「宇宙のすべての存在はプラーナで構成されている」
と言われているそうで。
以下は或る本からの抜粋です。
「神について説明するのが困難であるように、プラーナが何であるかを説明するのは難しい。
プラーナは、宇宙のあらゆるところに充満しているエネルギーである。
それは、物理的、頭脳的、精神的であり、
知的エネルギーであり、宇宙エネルギーである。
すべての振動エネルギーは、プラーナである。
熱、光、重力、磁気、電気もプラーナである。
プラーナはすべてのものに含まれ潜在しているエネルギーであり、
危険なときには最高に放出される。
プラーナは、すべての動きの前に、まず動く」
以上
これなんかも先ほど書いた
体感して実感していない小生はただの知識であって
肉体感覚としてつかめてはいない現状なのです。
とにもかくにも。
プラーナを取り込むことによって
人間は生きることができ
生活することができ
死ぬこともできるそうです
(※生命エネルギーではありますがプラーナは死ぬのにもつかわれるようです)
といったものですので。
肉体感覚として
実感を伴って感じられるようになりたいです。
というわけで
もうちょっと真面目にヨーガ教室へ行く頻度を上げようかと思います。
ほんの独り言です
ありがとうございます。
🙏