(2023.01.05)
今日はこんなタイトルを思いついたので
綴ってみます。
人間は勝手なもので
起こる出来事に対して自分自身がどう感じるか
これを起点に生きていると思います。

タオルミーナからのエトナ山(2019.05)
ですから。
自己保存の欲がある私なんかは
自分自身に都合が悪い出来事があると
困ってしまいます。
(※若かりし頃はよく腹を立てたものです)
自分自身の方が正しいなんて思っていたら
更に質の悪い状態です。

タオルミーナにて(シチリア島/イタリア)(2019.05)
発想の転換をして
一旦自身の立場を離れてみることが大切かと思います。
タイトルにした
相手の立場に立ったと想定してみて
相手を思いやってみて
どのような立ち位置だから私にそんな言葉をかけたのか
とか
腹を立ててしまっている私を相手にはどう映っているのか
などなど
まず自分自身の立場を離れることが出来るようになれば
そもそもだいぶ冷静になることが出来るかと思います。

タオルミーナにて(シチリア島/イタリア)(2019.05)
次には
相手の立場にばかり立っていると
これまた
中庸ではないと言いますか
偏ってしまいがちとなる可能性も高くなるものです。
ですので
善意なる第三者の立ち位置で物事がみれるようになると
よろしいのかと思います。
まぁまぁ。
どうしても私情が絡む事柄なので
善意なる第三者といっても
私が・己が・この俺さまが正しい!
となりがちなのが現実かもしれません。
ですがこれも
日々の訓練というか練習で
上達することは間違いないと思っております。
長い独り言にお付き合いいただき
ありがとうございます。
🙏🏼